2022.05.14 Saturday

スポンサーサイト

0

    一定期間更新がないため広告を表示しています

    2001.01.31 Wednesday

    ターイガアマースークー

    0
       タイガーマスクは69年から71年だから中3から高2にかけて見てたんだ。なかなか大人びた絵だったし、ただの勧善懲悪でもなかったから、まあまあ見てたなあ。ヒーローが汚れ役ってのが当時はやりだったかもね。100パーセントの善玉は、もうすたれちゃった!って感じやったんやろね。そんなエエやつ、おれへんわーい!みたいにね。

       でも、ボクはどうもプロレスが苦手でね、大昔の力道山のころは見てたような気がするんやけど、物心ついてからは「殴り合い・どつきあい」ゆうのは、どうも苦手ですわ。だから、最近の子がワイワイゆうてる「K−1」とかゆうのん見たことない。なんか、イヤやねん。
       そのくせに見る映画はアクションシーンばりばりのどつきあいOKやねんから、よう分かりましぇん。

       だからタイガーがミスターXの陰謀にはまって、悪もんレスラーにやられて血だらけになってるシーンとかは、イヤ〜な感じがしてた。いやなんだけど、なぜか見てしまってた。なんで?

       高校生がプロレスごっこをするときは「タイガーマスク」ごっこになってたなあ。橋野っていう変人がおって、違うクラスやのに休み時間にウチの教室まで来て、プロレスやろ!とかゆうて、チョッカイかけにきてた。どないしてるんやろ?あの変な橋野くん・・・。
      2001.01.30 Tuesday

      ソラン、ソラン、ソラーン

      0
         ソランく〜んってゆうチャッピーの甘えた声が妙に脳に残ってるなあ。

         ソ、ソ、ソックラテスかプラトンか〜っちゅう野坂のCMは「こち亀」のオープニングで「テ、テ、テレビをみるとーきはー、部屋をあっかるくして離れて見てね」の歌と同じノリやとは思いませんか?テーマ曲が天童よしみの「オレについてこい」に変わって、メッチャうれしいわー。アレンジがもと歌と同じにしてあるのがエエわー。

         ゾロアスター教とか世界史で習ったけど、インドの地震はえらいことになってまんなあ〜。ガッコでもインド救済募金を始めないかんなあゆうて話してるとこですわ。

         ゾットってゆう缶コーヒーが一時あったけど、あれは今はないの??確かに3年前はあった。

         そいつのまえではおんなのこつんとおすましそれはなあにそれはかがみかがみのなかからえっへへ

         ゾフィーってウルトラマンの何?いとこ?はとこ?いとはとこ?

         ソ、ソ、ソ、アイム、ソーリー
        2001.01.28 Sunday

        せまる〜ショッカー

        0
           仮面ライダーが始まったのは昭和46年4月。高校生だった。
           ってことで、そんなにライダーにはハマらなかったし、ライダースナックを買いあさることもなかった。ただ、どうやって変身するんか、どんなポーズで変身するんか、っちゅうことはシッカリ覚えてたけどね。
           高校のときに書いてたマンガには悪者の仮面ライダーが出て来て、女の子に「悪いこと」するストーリーだった。なんちゅうマンガや!

           子どもが出来てから、日曜日の朝のライダーは、よく見てた。ブラックとかRXとかのころです。たしか、シャリバンとかギャバンとかと時間続きでやってたと思う。超合金の人形も買って遊んでたなあ。
           あのころトンネルズが仮面ノリダーとかゆうパロディをやってたのも子どもといっしょに見て喜んでたわ。

           いまや、クウガとかゆうのもおるぐらいで、おもちゃ屋さんでは、怪人たちの超リアルなソフビ人形がぞろぞろ並べて売ってる。ええ時代やのう!ダークな色合いでホンマにリアルやで。

           むかしのソフビゆうたら、なんでもかんでも丸っこくなってて、色なんかボワーとした色でスプレーかけてるだけで、目やら歯やらディテイルはふっとんでたのに、今の子はあんな質の高い人形で遊べるんやなあ。まあ、あのボワーっとした人形は、あれはあれで、味があったんやけどサ。
          2001.01.24 Wednesday

          スーパースリー

          0
             ラリホーラリホー、ラリルレロンっちゅう歌で覚えているスーパースリー。普段は3人組のグループサウンズで、事件があるとスーパースリーの衣装に着替えてスーパーカーで登場するのだ。コイルはでぶっちょ、ボヨヨヨヨーン。このコイルは関敬六の声で「いっくどー!」とかゆうてボヨヨーンと伸びていったように思うんやが、後の二人が定かでない。スイムはなんとかスイッスイッスイ!と水になって活躍したはず。もう一人は全然わからん。どんなキャラでしたか??

             さて、映画館の話やけど、昔は堺にもいっぱい映画館があった。一番の繁華街だった銀座通りには今でも映画館があるけど、他にもあったのだ。洋画系とゴジラの東宝の中央劇場とか、すぐ西側にはガメラの大映もあった。大小路にもあった。たしかフランケンシュタイン対バラゴンをやっていた。東湊には東映まんが祭りと、ガッパの日活の劇場があった。綾ノ町にもモスラの東宝があった。
             あのころは映画館はいつも混んでいた。それこそ、入れ替えの時にドドドーッと人を押しのけて席を取らないと立ち見になった。もうひとつ。あのころは映画は途中からでも入って見てて、次の回の「見始めたところ」まで見て帰って来てた。今ではそんな損な見方、考えられへん。

             しかし思い出したらゴジラもガッパも、子どもだけで見に行ってたなあ。これって、不良??
            2001.01.22 Monday

            ジャングル大帝

            0
               ジャングル大帝は1965年だから昭和40年。ボクは10才。夢中になって見ていた。パンジャとエライザの子、レオがジャングルを平和に住みやすくするため、ライヤ、ココ、トミーとかの仲間たちとがんばるお話。いいねー。マントヒヒのマンディーじいさんが知恵袋でね。
               このへんのキャラクターの配置は「狼少年ケン」といっしょなんですよ。当然、手塚治虫の原作の方が早かったにきまってるけど、マンガとしては後やったから、子どもとしては「同じパターンで安心する」から結果的にはよかったんでしょう。
              「進め!レオ」っちゅうタイトルでも続きもんで放送してたような・・・。こっちは弘田美枝子の歌やった。「ウワーオ、ワーオ、ワオワオワー」っちゅうやつですよ。
               映画化されて、小学生のボクは友だちと堺銀座商店街の映画館に見に行きました。始まるときと終わりのときに、だーれも拍手せえへんから「なんで拍手せえへんのや?」と小声でしゃべってた記憶があります。小学校の講堂で見る映画は最初と最後に拍手するのが当然だったので不思議に思ったのでした。

               そういえば東京オリンピックの記録映画、これは紋次郎の市川昆が撮ったやつ、を学校から近く(鳳)の映画館まで見に行ったことがあったよなあ。学校全体で行ったんか何か忘れたけど、学校の講堂じゃなくて鳳の映画館やった。
               いろんな競技の記録映画なのに「がんばれー」とか「きゃー」とか叫んで見てるわけ、小学生が。これってスゴイよなあ。「ニッポン、がんばれー」って。このままいったら天皇陛下万歳でもなんでも叫んでるでーゆう感じ。
               しかし、中学になって、その映画館は東映の時代劇ポルノをやってるところだと知った。大奥マル秘なんとかとか、江戸女囚・地獄の拷問とかなんとか。キヨさん、覚えてる??
              2001.01.21 Sunday

              サリーちゃん

              0
                 魔法使いサリーは横山光輝、秘密のアッコちゃんは赤塚不二夫。人気のある女の子マンガって少年マンガの作家が書いてるもんやね、昔は。だから、男の子も見てても恥ずかしくなかった。「やーい、女のマンガ、見てらあ」といわれる心配はなかった。

                 さて、サリーちゃんでオモロかったのは、あの三つ子。エンディングの歌で「ぼーくたちワンパクトリオだぞっ!いたずらするのが大好きさ!女の子なんか、いーじめちゃえ〜。」って、世の男の子の願望をスパッと歌ってくれていた。
                 しかし、すぐにその後、ヨーシ子ちゃんが「おやつあげないわよっ」とからんできた。これで、ガクー!男の子の元気も恐いお姉ちゃんにシュンとなるのだ。

                 あのころ、おやつというものは「もらう」ものだった。それこそ、3時のおやつは文明堂の時代で、今日のおやつは何かな?とウキウキ学校から帰って来たものだ。決して、勝手に、あるものを食べてはいけなかった。おやつは「ありがたくちょうだい」するものだった。
                 今井家ではおやつとは呼ばずに「おちん」と言っていた。おばあちゃんもお母ちゃんも、そう言っていた。一体、何語だ?
                 だから、おやつを自分で買うということは小学校時代はなかった!ように思う。今の子はお金持ってるから自分でローソン行って何でも買いよるけど、そんなんアカンかった。
                 近所の駄菓子屋へ行って買うのは「おやつ」とはちがう意味だ。それは「遊び」であって、「おやつ」の時間ではなかった。

                 あれー?今と違えへんかなあ? 
                2001.01.19 Friday

                木枯し紋次郎

                0
                   上州は新田郡、三日月村に生まれたという紋次郎は・・・と、続くあのナレーション。う〜ん、あれ、誰やった?くぅ〜、思い出せん!

                   昭和42年に始まった、画期的な時代劇。これは一世を風靡したという言葉に相応しいドラマだった。笹沢佐保原作、市川昆監督。「あっしにゃあ、かかわりのないことでござんす」は日本人なら誰でも言ったはず。
                   チャンバラは殺陣というにはドタバタしてて、切り合いもどっちもへっぴり腰で、ほんとはこうだったんだろうなあというリアリティ満々でいながら、あんな長い爪楊枝はないでー、吹いたぐらいで突き刺されへんでーというウソみたいな部分のバランスが絶妙だった。
                   悪モノはとことん悪モノで、卑怯モノはとことん卑怯で、弱っちいヤツはとことん弱くて、それでいて誰もが人間くさくて・・・という時代劇に対するアンチテーゼともいえる作り方が、痛快だった。

                   やっぱり大人のドラマだから、村の娘を手込めにしたり、慰みものにしたりする悪モンが出て来て、そういうシーンは家族全員、シーンとして見てたけど、見て見ぬふりをしながらも、結局は巻き込まれて悪モンをやっつけてしまう紋次郎がカッコよかったなあ〜。

                   バーバーババババーン、チャカチャカチャーン!というイントロに続いて、生ギターのアルペジオ・・・。上條恒彦の「だれかが風の中で」タッタカタッタカちゅうリズムが気持ちよかった。
                   カラオケでこの歌を歌おうと思ってんのに、まちがえて「旅立ちの歌」を入れてしまったこと、ないですか??

                   紋次郎はこんにゃくをよう食べません。
                  2001.01.17 Wednesday

                  ケロヨン

                  0
                     ケーロヨーン!バッハハーイ!って言ってたのは「おはよう子どもショー」のケロヨン。ビビンビーンのビンちゃん(楠木とし江?)とロバくんが出て来て、当時の子どもの文化を完全に担っていた。
                     だから、ケロヨンで育った世代は大人になってもサヨナラのあいさつは「バーハーハーイ!」と言ってしまうのだ。

                     ところでカキコの方でレーシングカーのサーキットについて書いたけど、あのレーシングカーは20センチぐらいのデッカイやつだったけど、4〜5センチぐらいのちっちゃいのんで、コースも手ごろな大きさのも流行ったよなあ。
                     これはウチにもあった。お金持ちじゃなくても買えた。コースの部品をつなぐとき電気の通る金具をいちいち突き刺してはめていくやつ。はめるのに失敗すると、ブスっと手を切ったりしたぞ。あぶない、あぶない。
                     くるまはちっちゃいけど、メチャ速い!コントローラーはいろいろあって、にぎって親指で押すタイプとか、トリガー式のとか、ウチのは鉄人28号のリモコンみたいな箱にハンドルがついてて、ハンドルを右にまわすとスピードが上がるやつだった。
                     あんまり長いこと遊んでると、車のモーターが焼けてきて、くさいにおいがしたもんだ。ボディがあっつ〜くなってね。
                    2001.01.16 Tuesday

                    く・・・

                    0
                       紅三四郎、こいつはカッコよかった。父の仇、片目の男を探して旅をする男一匹三四郎。ついていくのは、あれ、誰でした?ター坊??ケン坊??忘れたけど、その子と犬一匹やったね。

                       クマゴローゆうのもあった。いわゆる外国モノのマンガ。クマゴローは30分ものだったと思うけど、例の6時55分から5分間だけやってるマンガあったやん。フィリクスくんとか、マイティーハーキュリーとか。あと何があったっけ?

                       野球盤の話の続きやけど、野球盤が登場したのは昭和33年だそうです。最初はエポック社。その後に、任天堂&河田商店ってのと萬代屋(バンダイ)が続いたそうです。
                       ウチの子どものクリスマスプレゼントにドーム球場型の野球盤を買ってあげたことがあるけど、これはブームにはならなかった。昔の子どもはほとんど全員ハマったもんだけど、今時の子どもには野球盤って、もひとつやったんやね。テレビゲームの方がリアルやし。実際、年に1回だけ、ウチの弟と野球盤徹夜の会があるんやけど、もう最近はスーファミでやってるもんねえ。
                       野球盤の次に出たのがホッケーゲーム。ぺっちゃんこの人間を手元の棒をクルクル回して、1チーム全員の動きを一人で操作できるというのが画期的で迫力あった。ヤケクソでクリクリッて人間を回しまくるのが、これまたおもろかった。そうやると、球がどっかへ飛んでいって、探すの苦労したもんや。敵の人間が球を持ってるのに、こっちで操作できると勘違いして、どれや、どの棒回したらシュートできるねん!と焦ったりしてね。しかし、キーパーの動きがあんまり自由じゃなくて、左右にしか動けないし、なぜか動作がのろい。あ〜、入れられる!と思って、キーパーを動かそうとしても、ゆうことをきかん場合が多かった。しかし、サッカーよりも先にホッケーがゲームになったのはなぜ??ホッケーって人気あったん??
                      2001.01.14 Sunday

                      キューティハニーと巨人の星

                      0
                         キューティーハニーは昭和48年、ってことはボクは18才。しかし、テレビであんなものを見る勇気はなかった。家族みんなが集まって見てるテレビで、ああいうシーンが突然出て来たら、みんなどんな顔して見てたらいいのか分からなくなって、ただただ、早く服を着てくれ〜と願った。
                         コント55号の野球拳のテレビもそうだった。ゲストの女の子がジャンケンで負けてドンドン脱いでいくのはオモロイんだけど、ほんとに下着(ビキニの水着だったけど)になっちゃうと、おいおい、なんとかしてくれ〜、このまま見続ける勇気はないぞ〜って感じ。
                         それは映画のラブシーンでも同じ現象。テレビのまわりに変な空気が漂い始めるのだ。みんなが息をしてないのが分かる。目をそむけるわけにもいかず、かといって、ジーっと見てるわけにもいかず。時計でも見たりしてね。

                         巨人の星は、当時南海ファンだったけど、いっしょうけんめい見た。少年マガジンは買ってなかったけど、コミックスは揃えた。1球投げるのに1週間待つという、今では考えられないペース。それでもドキドキして感動してた。
                         巨人の星のおかげで、エポックの野球盤に「消える魔球」が出現したけど、どう考えてもアレは邪道!あんなもん、打たれへん。アレはインチキ。だから、消える魔球付きのは買わなかった。それ以前に買ってもらった一番基本的な野球盤が今でも健在。バットのところのバネは付け替えたけど、まだ現役で使える。野球盤はおもちゃの王様やね。一家に一台あったもんね。
                         いかに速球を投げるか、さらに球のスピードを上げるにはどうするか。また、タイミングをはずすためにどんなトリックを使うか。いかにミートするか、ミートしたら確実にフェンス越えするためにはどう打つか。(ホームランの場所はたいがい2ケ所ついてたけど、今井家ではあれは外野フライで、ホームランはフェンスを越えなければならなかった。)あの手この手を使って、弟とよく遊んだもんだ。
                        Calendar
                         123456
                        78910111213
                        14151617181920
                        21222324252627
                        28293031   
                        << January 2001 >>
                        PR
                        Facebook
                        Katsumi Imai

                        バナーを作成
                        いまヤンの本棚
                        Selected Entries
                        Categories
                        Archives
                        Recent Comment
                        Recent Trackback
                        Links
                        Profile
                        Search this site.
                        Others
                        Mobile
                        qrcode
                        Powered by
                        30days Album
                        無料ブログ作成サービス JUGEM